いつ考えるのか
試合中に考えているような選手は、僕には迷っているようにしか見えない。
相手のゴール付近で考えながらドリブルをしているように見える選手は、
たいてい相手ディフェンスにボールをとられるか、パスミスをしでかす。
セットプレイの時にキッカーがあれこれと考えているようでは、得点には繋がらない。
子どもは子どもなりに考えてサッカーをしている。
だから試合中のプレイについて「どうして?」と問えば、正しいかそうでないかは別として、ちゃんと合理的な回答は返ってくる。
だけど「???」と回答ができない子がいても仕方がない。
僕だって、試合中の出来事や判断した理由を、試合後にはほとんど記憶していないんだから。
日本にはボール回しがある。向こうがボール支配率55%のときでも、相手陣地でいいパス回しが何度かできるかもしれない。相手のボディーコンタクトを受けないようにしながら、ゴールまで行くようなプレーをすればどこを相手にしてもやれる。
これは、ワールドカップの組み合わせ決定について、中村俊輔がコメントした内容の一部。
この一部分を読んだだけでは、
そのボールはどうやってゲットするんだ?とか、
パス回しているだけじゃ、いつもの負けパターンじゃないか?とか、
ゴールまで行くだけで、シュートが入らないんじゃ…とか、
考えさせられてしまう。単なる揚げ足取り?
ZIDANEの柔道、IBRAHIMOVICのテコンドー、
福西の体操、巻のアイスホッケー。
斬新なプレイスタイルや、ボディーバランス、ボディーコンタクトには、
サッカー以外のスポーツが充分に活かされている。
サッカーだけでイイのかな?
これからのサッカーは、“監督ありき”だけでは強くならない。
メンタル面、フィジカル、テクニックなど、あらゆる面で選手が個人の資質を上げていくことが重要だ。
世界に目を向け、選手個人個人が最大限の努力をしていくことが望まれる。
ジーコ監督退任会見(06.06.27)の中の言葉です。
日本にはボール回しがある。向こうがボール支配率55%のときでも、相手陣地でいいパス回しが何度かできるかもしれない。相手のボディーコンタクトを受けないようにしながら、ゴールまで行くようなプレーをすればどこを相手にしてもやれる
これは、ワールドカップの組み合わせ決定について、中村俊輔がコメントした内容の一部なんだけど、
代表監督がオシムになった事だし、もう一度考えてみようと思った。
特に、
相手のボディーコンタクトを受けないようにしながら
という部分。
子供達のサッカーを観察していると、どこのチームにも共通する点は多い。
たとえば、ボールを持つと、右でしか蹴れない選手は右サイドにボールを運び、右足でセンタリングをしようとする。
センタリングできない状況である事を知る(この状況は自ら招いているんだけど)と、ゴールめがけて無理やりに、ただ蹴り込んでしまう。
シュートしたいんだったら、はじめからゴールめがけてドリブルすればいいのにね。
シュートをするためにゴールに向かって長い距離をドリブルしようとすると、「自分だけでやるな」とか、「パスしろ」とか、余計なコーチングをする愚かな大人がいるからかな?
ゴール前までドリブルできる能力があるのなら、それを伸ばしてあげればいいじゃん。
遠くからでもシュートを打とうとする気持ちがあるんだったら、そのシュートをゴールに入れるためにどうすればいいのかを考えさせればいいでしょ?
この辺に蹴り込んでおけばとクロスを入れると、
この辺に走っておけばって走り込んだ選手が、
この辺に蹴れば入るだろうってシュートをする。
この辺にいれば大丈夫だろうって待っているゴールキーパーには、
こんなシュートも止める事はできないから、
あっさりと点が入ってしまう。
この一連の動きを、日本ではコンビネーションと呼ぶ。
オシムジャパンの選手たちは、「考える」ってことを難しく考えてしまっているんじゃないだろうか?
オシムのサッカーには、「考えて走る」なんてキャッチフレーズが付いてしまっているけど、オシムは本当に「考える」って言葉を使っているんだろうか?
日本語の「みる」に、英語では意味の違う複数の言葉が存在するように、オシムの「考える」には、日本語の「考える」とは違う別の意味があるんじゃないだろうか?
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